私個人の予言が記されているアガスティアの葉。
20年ぐらい前、南インドで伝統的なナディリーダーの元で、見てもらった。
(私の葉ではありません。ネットから画像をお借りしました。)
ナディリーダーとは、その予言の葉っぱを保管し読む人だ。
そのあたりの奇跡的な流れは、一緒に行った植松伸夫氏の
エッセイ「人生思うがまま」に書かれている。
なぜか、昨日今日そのアガスティアの葉の話題が周辺から出てきてて。
私の結論として予言そのものが大事というよりは
それを通した体験が大事だったのだなあとは思う。
で、その預言書の中身の話はおいといて
(すみませんっ
平たく言うと当たってたりあたってなかったりっすよ)
そこに自分の使命が書いてあると思って緊張する人もいるようだ。
(私はその後またインドに行って、
全ての章を開いたが、んなのあったか??)
アガスティアなどに限らず
「あなたの使命は
地味に目立たず、特に世間の役にも立たず、
ただ自分や人々と幸せに過ごす事を見つける事です」とか
言われる事はないのだろうか。
思えば私は人生に何かスペシャルなものを求めてた。
無意識的にもずっとずっと。
時に美味しいご飯食べるようなレベルも含め。
人から見たら、そこそこスペシャルな体験や仕事もしてきたと思う。
私は使命とかナントカ気にしたことはないが、
使命が気になる人は、やはり何かスペシャルを求めているのだろうか。
時に絶望してないだろうか。
スペシャルは楽しい。
自分に価値を付加してくれる感じがするかもしれない。
けれど、幸せそのものとは違う。
自分や世界を良い感じにしていくのとイコールとは限らない。
なんとなくアガスティアの事を書き始めたら、
自分で意外な展開になったよ。
で
自分の中でモヤモヤとした
問いが生まれるのであーる。
先日もこんなでスペシャルだけど。
@葉山のマーロウwith だんなちゃん。