みんな違ってみんないい(by詩人金子みすゞ)
なんて言いますが
アタマで理解してる<人それぞれ>、
あるいは星座とか何かの分類学での診断、
そこでの理解とはまた違う感覚で
<違う>というコトのカケラを
今まで思ってたものではない感じで
少ぅし実感するこの頃です。
例えば、
まずは自分を愛して、大事にして
(好きなコトして)自分を満たして
溢れたもので人に優しく…
特に近年言われてきたことです。
私も無意識にそんな前提がありました。
疲れている人、忙しい人に、自分に
<まずは他人より自分から>
<自分にご褒美を、好きなコトを>
そう言いがちになります。
その正しさのようなものに
当てはめられないこと(人)を
リアルに感じることがあります。
ある女性は、
仕事もプライベートも人のコトばかり。
友人知人に自分を大事にしなさい、
自分を喜ばす事をしなさいと散々言われてきたそうです。
言われた事に対して彼女が出した答えは
「じゃあ、美味しいもの食べてもらって喜んでいるのを見る」
知人「だからソレは、人のことじゃん!」
さらに懸命に考えて答えるも、また
「だからソレは人のことじゃん」ってツッコマれる。
彼女はえええ?!と混乱。
自分だけのためということができない人。
それは、
人に優しく(の考え方)や正義からやっているのでもなく、
自分から逃げるために人を構っているのでもなく、
自己犠牲や自分放棄しているのでもなく、
ただ、相手のためにしかできない人。
それがあっけらかんと、
天然自然なその人だったということです。
(うーん、昔の私だったらコレを伝聞で聞いただけではちょっと疑ってるかも)
自分の事ができないと悩んでいたご本人もそれを心から理解した時、
安心して軽やかになったそうです。(そらさん開催のバトンでのこと)
そして元気です。
昔セラピーの現場で「人にはそれぞれの背景、事情がある」
というのを見てきた私ですが、
一方で心理学や自己啓発などの理屈、前提、
問題意識に当てはめることで、
その人の本当の本当を<感じて>なかったりもあるなぁと…
これはわかりやすい一例ですが
人はそれぞれがまるで違うとわかるからこそ、
「相手を認めましょう」という言葉さえでない、
「人それぞれ」を正しさとするでもない、
笑っちゃうほど多様で面白い世界があるんだなぁ、と。
それは暖かく繋がってゆく世界なのだなとも思ったのです。
最近バス停ちかくでよくみかけるニャンコたん
近づくとシャーってされる。ごみん(^▽^;)