先日、10年前に購入いただいた私の絵を
玄関に飾っていただいている写真を
みかけました。
とても嬉しくなりました。
以前にも書きましたが、
私はアーティストである執着が
気がついたらはずれてしまったのです。
↓
アーティストであることが
「アイデンティティー自分の本来ー」のように
思っていたことにも気がつきましたが、
それは後に振り返ってみての分析です。
<アーティスト>を握りしめてた手の
緊張と違和感に気がつき
緊張した手がフワっと開いた感じ…
だったと思います。
エイって捨てたりしていません。
筆はいつでも手に届くところにある感じ。
そんなアイデンティティと思い込んでいたものが外れてから、
「あれ?!」となったのは服。
元々、ファッションにさして興味はないのに、
服を選ぶ時は何か特別っぽい
アーティストっぽいのを、選ぶ…
フツーのはつまらない…でした。
今、フツーでOKー!
(当社比)
ソレってどういうことかというと
自分でも気づかずに、
自分で作った<らしさ>
にとらわれていたようです。
人と違うことをして、違う見た目でいると
イカニモ自由とか表現者とか
見られるのだけど、
「イカニモ」をやってたのだなあと思います。
もちろんそれもワクワク楽しいコト
ではあります。
ひゃっほーーって楽しむのもいいです。
演出的にやるのも一つです。
ただ、服でもなんでも、
表現、には
何かしら自分が顕れているけど
かといってそれが
<自分自身>でもなく
<自分を生きてる証拠>でもないなあ、と
いう感じです。
今のほうが自由に自分らしく
描けそうなのです。
描いてないから妄想だけど(笑)
これまでも、絵を受け取って下さった方たちありがとう。
また、描く時にはふわりと。