ドーパミンって、「快楽物質」だと思われてたようだけど、
それよりも、快楽の「予期物質」なんですね。
それが興味深い。
「これをすれば、楽しくなれる、気持ちよくなれるかも」
その可能性を察知した瞬間に、もう分泌が始まってる。
予測先のご褒美を求めていく。
スマホのスクロールが止まらないのも、
ショート動画を延々と見ちゃうのも、同じ仕組み。
次の次の動画、コンテンツ・・・
「次は何かおもしろいものがあるかも」という予期そのものが、
指を動かし続けさせる。
で、
実際その行為をしてるとき、
ほんとに楽しんでるんだろうか?
というと、
最初は、たしかに楽しい。、
でも繰り返して、予測通りが続くと
脳は慣れて、スン・・となっていく。
続けるほどに、快楽を生み出す力は目減りする。
なのに、
「欲しい」「もっと」という気持ちだけは、
消えるどころか強くなっていく。
それは強力で、脳全体を動かす。
欲しい、と好き、は違う
ちなみに、「欲しい」ではなくて、
「好きだ」と感じる力を担うのは、
エンドルフィンやエンドカンナビノイドといった、
また別の、もっと小さくて繊細な物質。
好きは、もっと繊細なんです。
そして、依存が深まるほど、
それはもう楽しみのための行動じゃなくなるんですね。
快楽の予測を回収しなければ、、、
その渇望をナントカしなければ、苦しい、と。
渇望の苦しみから逃れるための行動。
例えばSックス依存性の場合、
その行為がもはや嫌悪にさえなっている場合もあるのに、
なのに渇望に突き動かされて行為に至る、
ということもあるようです。
苦しいことだなと思います。
ドーパミンとヒア&ナウ
こうした未来を追いかけ続けるドーパミンに対して、
いま、この瞬間の感覚を味わう力は、
また別の場所にあります。
それが、安心や幸せに繋がっていく。
渇望のループではない。充足。
それは、微細で繊細。
ひとは幸せになりたいものです。
衝動を繰り返すなら、
「求めてる幸せはこれかな?」を優しく問うてみる。
そして「コレじゃない」って気づきは大事。
その時、大事なのは自分を責めないことです。
もちろん、嫌だから脱出するというのはあるのだけど、
嫌悪ループしないことです。
自分責めは、さらにストレスやぐるぐる思考になって
ほんと遠回りだなと。
では、なにが本質的な幸せか、は
わからなかったりするし、
遠く感じてしまうかもしれない。
でも、そこに優しく問いをもつことができる
そんな余白ができていくといいな、と思います。
ふわっとしたゆるっとした着地ですが、
ドーパミンはやる気の元でもあり、悪者じゃないですが、
最近、色々興味深く思ってるので、また〜
すみませんw