「この世界の、あの人やこの人、
様々な出来事のイミがわからない。
なんだろうこの世界は?!
本当はここではないどこかに
自分の居場所があったのじゃないか。
自分は、実は宇宙人かも知れない。」
そんな宇宙人的感覚をもっている人がいます。
そういう人は
子どもの時からそんな感覚があったと言うことが多いです。
実際にこの世界は、宇宙人感覚でなくても
意味がわからないことだらけで、
奇妙さに溢れてもいると思う人も多いです。
何かが違う。
漠然と、あるいはハッキリと
世界を奇妙に思いながら
もっと何か大事なものを感じたくて
それが何かもわからなくて
宙に浮いたように孤独で、
いっそ宇宙人として生きてやろうじゃないかと
諦めたり開き直ったり
仲間を探して一緒に生きようとしたり。
これも、
宇宙人感覚でなくても
多くの人がそう思ったり。
生きる上で
本当は何かもっと感じたいものがあった。
あるはずだ。
でも諦めてしまって
何かの成果や結果を出すコトにも忙しくて
疲れて少しずつ諦めて
そう感じてたことすら忘れているかもしれません。
けれども
〝自分だけが宇宙人で、
他の人々が地球人たちだ〟
と思っていたのに、
実はそれぞれ別の星から来たほど、
あまりにも違う存在なのだとしたら、、。
(スピリチュアル世界でいうところの
〇〇星出身という話ではないデスヨ^ ^)
実際、考えている以上に人は
それぞれが別の星から来たほど違うのです。
あの人はこうかもしれない、と
自分で思い込んで見た
斜め上以上の存在がそこここにいる。
その一人一人の違いを、
感じるしかないことなのですけど。
それが感じられてきた時、
いち宇宙人として生きることも
別のイミを持つかもしれません。
孤高の宇宙人の世界から、
たくさんの宇宙人と共に
さらに広がった宇宙を
感じられるかもしれません。
特別なあなたのままで。
なんてね^ ^
そこから、
人としてこの世に生まれて本当に感じたかったコトが
はじまるのかもしれません。
世間に対処したり合わせたり
挑んだり、世間的な結果を出すこと、
そうしながらも
そんな大きな世界を知っていくのも
いいと思うのです。
生きることの本当のビジョン、生きがいは
たったひとりの中で作り上げるものではなく
何かしら人との中で現れてくるものだから。
“みんなが全く違う存在”
そんな実感。
それが本当は今必要なことのように思います。
“自分が違う”
“自分は違う”
というのは、小さな世界で反発しているようなものだから。