悟りの動画?
この動画。
私が言ったことの一部が、、
「悟りに達した人は世界はどう見える?」っていう
サムネで動画がアップされてます〜😳 ひえ〜
悟りっていうと、
釈迦ですかーーっ?
後光ピカピカですかーーっ?
聖お兄さんですかーーっ?
っていうレベルのイメージに思えます(笑)
そんな事ではありません(動画サムネの右手は観音様っぽいけど(笑))
この動画は、ちょうど今研修を受けている、
姿勢チェックをしながら、近況報告してた時のものです。
私は、悟りとか一瞥とか言ってなかったのに、このタイトル(笑)
斎藤先生にバレてたというか、、、
そう、一瞥(いちべつ)といいます
・悟りの一端をチラ見する<一瞥(いちべつ)>といわれるものがあります。
・動画タイトルにもある<メタ認知>ー自分を俯瞰する認知力ーなものです。
私の話は、その体験談ではあります。
ただの雑談にしか聞こえないかもだけど。
いわゆるホンモノの悟り、っていうのとは違います。
なので
私の一瞥ついて、記録としてちょっとだけ書いてみようと思います。
ある夜のこと、なにげなくソレがおきた
YouTubeを流しながら、
パソコンで事務作業をしていました。
気がつくと、
フイにその状態になっていました。
あれ?と思いながらそのまま寝ちゃったので、
はっきり気がついたのは翌朝だったかな?
それは変性意識状態や神秘体験でもないし、
意識拡大という感覚ともちょっと異なると思うし、
ただ多幸感と言ってしまうのも誤解を生みそうだし、
思考が消えたというのとも違う。
(ただ、自動思考という思考パターンは消える)
もちろん新たな概念や観念とも違う。
<ただそれがある><今、これがある>という
というクリアな現実感、曇りのないリアル感。
静かな世界、静寂な幸せ安心感へのシフト。
なんだろうコレ
その時一瞥きたーーっ、と理解したわけではありません。
なんだろうコレ、もしかして一瞥なのか??
思ってたんと違うけど、みたいな。
その後、一瞥や悟りに関する情報などをちょっと見ました。
すでに持っていた書籍も開いてみたりしました。
その内容や表現は、以前は想像や他人事のようにしか
捉えられなかったものでしたが、、
それが、スコンと理解できちゃう感じで、、、。
例えば、
こちらのジョイ・ロットの「これのこと」(朗読youtube)が
私としてはわかりやすいです。
一瞥を経験した人によくあることですが、
ソレが起きても誰にもいわずに、
自分の状況を眺めてました。
いつも通りの[私]がいて、
はたからみたら変わらなく見えているはずで、
普通に会話もして、感情もあります。
けれどもその[私]と一体化してないのです。
(解離じゃないですよ)
[私]の何にも抵抗なく、そのまま、なのです。
コレが伝わりがたいひとつ。
その後
ソレは4日ほど続きながら、
徐々に日常のいつもの思考パターンに絡めとられていきました。
例えると、重力のないがらーんとした宇宙から、
慣れ親しんだ星(思考)の重力に引っ張られていく。
行ったり来たりもしながら。
行ったり来たりというのは、
頭ではなく、からだの感覚にフト意識を持っていくと、思考の重量から離れる感じです。
それもやがて、いつもの思考のパターンに
捕まっていきます。
それでも、
今までの知覚の延長ではない、認知のシフト体験によって、
今までと違う知覚で世界を捉え始めてはいます。
悟りを得たというよりも
よちよちと、そのスタートラインに立つ感じです。
とはいえ、悟りが一瞥の延長線上なのかはわかりません
また、一瞥と言っても人によっていろいろです。
私のは、ほんのほんの浅い体験だというのがわかります。
自我である[私]の脱落がより深いときには
認知がまた違うだろうことがわかります。
まとめてみます
・一瞥とは自己の消滅、悟りの世界をチラ見すること
・催眠状態や変性意識、神秘体験とは違う(これを一瞥と思っちゃう事もあるようです)
・気持ちいい〜的なハイテンション高揚感ではない
・悟り界?で有名なエックハルト・トールみたいなふんわり穏やか聖人さんっぽくなるわけではない。
・人格や性格がすぐに変わるものではない
・一瞥してもなんも偉くない
では、どうしたらそれを体験できるのか。
瞑想とか内観的なものとか、、修練的なもの、、が必要か。
そんな積み重ねがあろうがなかろうが、一瞥が起こる時は
突然起こるので、確実なノウハウはないと思います。
頭で理解できることとも違います。
けれども、ソノコトに意識を向け続けることは
大きく助けになるのではないかと思います。
一瞥体験がずっと定着して深められている人は稀です。
それを体験した人が、その体験に囚われたり
時に苦しむのもわかります。
一瞥で捉えた<カンジのもの>を概念(思考)として固着させて
そこから自我を拡大させて
おかしな方向にいってしまう人もいたりします。
内観、自己を観る、自己認識を深めるなどの修練的なものは、
むしろ一瞥後に必要な時があるんじゃないかとも思ったりします。
そんな一瞥の後のこと
囚われや、感情など
機会があれば書いてみるかもしれません。
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