病いについて、
背景の心理や生き方について
取り沙汰されることがあります。
生き方や考え方に歪みがあったから
体の不具合になった、とか
例えば腰痛はこんな心理的問題が原因とか
そうした分類の書籍も時折見かけます。
確かに、痛みや病気は
自分に向き合うきっかけになったり
そこで起こった出来事によって
関係や自分に気がつく
きっかけになったりもします。
しかし一方で、
お金の問題はお金を稼ぐためにあるわけではないし
お金の問題は、心に向き合えというものではないように
病についても、それをきっかけに出来事が起こり
気がつくことは多いですが
この部位は心のこんなところを、
この部位は考え方のこんなところを、
などと決めつけることは逆に
狭いところに囚わされるように感じるのです。
私もそうした考え方に自分を当てはめて
不調の自分を正そうとしたこともあります。
結果、それは関係なかったのでした。
でも、人生をみつめるきっかけにはなります。
やっかいな問題でしかないかのように見えたり
人生の停滞のように見えるようでも
実は人生の流れとして見ると
うまくいっているかもしれないですし。
・不調が起きて動けないからこそ、助かることもある。
・後々のために必要な体験かもしれない。
・自身の病いが、それと関わる他者にも必要な体験かもしれない。
・そうと思えなくても人を救っているかもしれない。
・一人で解決できないからこそ、広がる世界があるかもしれない。
など
出来事は個人個人で完結しているわけでなくて、
他者とも織りなしています。
過去現在の問題に囚われがちですが
未来とも繋がっています。
だから、
今ジャッジできないことがほとんどのように思います。
人間レベルではわからない
様々な理由が重なっているかもしれません。
だから、そのようなことを前提にして
人生とか関係とかの
広い視野を持つことが必要なのだと思うのです。
もちろん不調への、対処はしていったほうがいいことは
当然のことだから書きませんでしたが
健康であったほうがいいし
フィジカル的、メンタル的なこと含めて。
ただ、
健康は快適に生きるために大事ではあるけれど
健康が正義なわけでも、
幸せの必須条件でもない。
足が動かないからといって、
こんちくしょうめ、と
足をバンバン叩いて叱っていた人がいました。
…せつない。
何かを問題視して責めたり
訂正した先に幸せがあるのではなくて
今、幸せになろうとしたほうがいいんじゃないかな。
からだの不具合だけでなく
本当はすべての出来事は
あなたや誰かの人生(行為的なものではなく)を
動かすきっかけになるかもしれないし
痛みや病いを持つことで自分の人生が動くのかもしれません。
自分の人生への否定になりませんように。
もっと優しいものかもしれませんから。
そんな中で、少しでも快適に、
より自分らしくいられるように
サポートができればとおもっています。