『たまゆらに
言葉の種が
光りだす』
↑俳句をひとつ。
先日、フォーカシング協会の練習会に参加しました。
フォーカシングとは、
まだ言葉にならない感覚にそっと注意を向け、
体の感覚から言葉を紡いでいく方法。
私のセッションでも取り入れているものです。
最近はフォーカシングを通して、
「凝縮された言葉」
に心が向いています。
長い説明の言葉は、
自分や相手を納得させるための安心もありますが、
そのぶんごまかしが効いてしまうこともある。
言葉の周辺を削ぎ落として、
その核を表現するのは
勇気がいる作業。
もちろん、一言でスパッと言えないところ
モヤモヤの中にも深い味わいがあって、
そこにこそ大切なものが眠っていたりもします。
フォーカシングでは、
その場をともに感じ合うことで、
言葉になる前のかすかな感覚が形を持ちはじめます。
そしてクライアント本人の中から、
まるで小さな宝物のように言葉が現れる。
それはセラピストのアドバイスではなく、
その人自身の内側からの響きです。
そして、からだの滞りもほどけていく。
ふと、昔の人々は今よりもっと自然に、
こうした感覚を生きていたのかもしれない。
そんなことを思いました。
