どう<考え>たらより良く<考え>られるか、
間違えないのか、
どんな価値観をもてばいいのか、
考え方や行動の正解を探して、疑って、
自分に優しくとか自由にとかなんとか、
そうして一時的に<気分>が良くなったりしても
根本的に満たされはしなくて
自分をなんとかしたいアレコレで向き合って
自分も相手(世界)もいなくなる。
世界に対しても怯えて細かく観察して、
デジタル的にデータ蓄積をしている。
<繊細に感じている>というつもりで。
まるで気がつかない小さな絶望を
重ねているんじゃないかと思う。
そうはいっても他にどうしたものかデータもないし。カナシイ。
という思考のループがあっても、
(そしてそれを無理やりポジティブに変換して見失う前に)
<考え>じゃなくて、データじゃなくて、
感覚として、実感として
世界と、他者と優しく繋がる、
ほ乳類としての安心や幸せはあるんじゃないかと、
その温かさが幸せに生きる事なのじゃないかな、
そんな風にも思ったりするよ。
アタマで考えてる問いの中なうだけど。
セッションルームの土偶ちゃんとか。