20代の時、
私は誰にも愛されないだろう、
いやいやそんな風に思ってはいけない、
と相当葛藤し、絶望してました。
精神世界では
まずは自分を愛さなくてはといいます。
きっと、その時の私が
どんなに好きなコトをやったり、
美味しいものや旅行や
自分を満たすような行為をしても
鏡に向かって「愛してるよ」というワークをしても
結局は満たされてなかったでしょう。
一方でエゴ(自我)をなくして…
つまり自分というものはいない、
この世界はすべて幻想、
というのがサトリ的な方向ですが、
瞑想しても、思い込もうとしても
全くクールにもなれないし
なにか曖昧にわかった気にはなって
むしろエゴが増大していってたと思います。
最近、<自分を愛する>でもない
<世界は幻想>でもない、
この世界を現実的に生きるというのは
「人」の存在が外せないのでは
という感じがしています。
それは、たとえば好きな人に会いにいくという
特別な行為やその結果ではなく、
人と人との間に流れるフィーリングを
感じることというか、
他者である<人>を存在(情報ではなく)として
感じること、みること、想うこと。
もっというと
その人の根底に流れる<生>というか
<人生>そのものを
どうか信頼ー期待や判断ではなくー
できるような自分になりたいという祈りの様な気持ちもあります。
(大げさなようですが)
そこには<自分自身を愛して>もなく、
自分という<エゴ>を問題視することもなく
けれども他者に自分を譲って
自分がなくなるという虚しさもなく
この世界で
自分と他者の人生が交差し織りなすことで
自分一人では感じられない
豊かさが生まれるのではないかと…
この世での幸せがあるのではないかと
思ったりもしているのです。
なんだか暑苦しい話ですが、
そんなコトを考えるなんて
20代の私は思ってもいなかっただろうな。
でも実は望んでいて諦めてたのかもしれません。
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クリスマスは夜遅くなるので
パーティできないなぁって
お義母さんに言ったら
ちょっとだけでも、と
スーパーのシュークリームを買って来てて
くれました。
