「人を助けたいと思ってはいけない」
対人援助職の人であっても、
そんな事を言う時があります。
私もそう思ってました。
にしていたというか
そう思ってはいけないという否定を
鵜呑みにしていたというか)
もちろん、そうじゃないと思う人もいるとは思います。
ただ、スピリチュアルや心理の世界では
そんな話がよく出てきたりもするんです。
助けたり、助けられたりという
生物の自然な状態、
純粋な想いにフォーカスがいくまえに、
助ける、ということに
傲慢さなどを見ていて、
警戒している感じです。
あなたのためという前提でなされる、
他者への余計な介入やアドバイス、
それに対しての怒り、悲しみ、逆に依存など
ネガティブな面を意識してしまう。
(自分もやっちゃうしね〜)
私などはずいぶん以前は、
心の中で偽善撲滅運動してました
偽善ぽいのをみると、
心の中で拒絶しまくっていたのです。
偽善が嫌なあまり、自分の優しさにも
すごい疑惑があって、厳しい。
そもそも私には優しさなどないと思っていて、
怒っているほうがマシだの正直だの
さえ思っていたり。
というのは、また置いといて、
「人はパンのみにて生きるにあらず」、
という言葉は、
心の栄養の必要性も言っています。
自分の人生を生きている実感には、
自分、人、世界との繋がりの感覚が関わってきます。
そこには、いやおうにも相互の援助があります。
単に利害関係だけでなく。
助けたいという言葉への拒否感も持ちつつ、
では、人の助けになるということはなに?
人から助けられるとはなに?
そんなことを本気で考えるのもいいかなと
最近は思います。
単なる行動することや結果に関わらず、
祈りも含めた、
在り方にも関わってくるもの。
自分自身や他者への優しさにも関わってくるもの。
助けるっていうのは、
愛するとは別のことではなくて、
愛するの中に入っているんですよね。
話があっちこっちにいきましたが、
私が幸せであり、みんなも幸せでありますように。
2015年ごろに描いた絵😌
