最近、人生や人との関係について
デザイン的に思うことがあります。
デザイン表現というものは、
相手に届けるためにカタチにするもの。
相手が先にある感じ。
アート的なものは自己表現として
自分が先にあるような感じ。
だから、デザインは
自分のこころのママとか
ありのママではありません。
私のイメージでは
デザインする自分が器だとして
器の中身を<自己(表現)>で満たすではない。
器を知りつつ
からっぽであること。
ただ沿うでなく
その相手が気がついてないような本質的な
ものもあぶりだして
想定と構築がなされていく
というものと思うのです。
つまり
相手(対象)を知ろうとし、
問い続け、明確な意図(テーマ)がある先に
美しいものが生まれる。
そうやって
自分を脇におきながらも
どうにも自分であり、他者でもあり。
そんな世界が構築されてくる。
器と中身の響き合い。
そこに美しさと喜びがある。
慈しみ的でもある。
みたいな。
私はデザインが苦手なのですが
必要だと感じはじめています。
ただ、理解が浅く全体の意図がまとまらず
余計な「自分」が
うまく収まらない感じ。
結果、器も中身もうまく活かせていない。
そんな気がしています。
昨日のアートの話と逆みたいだけど
どちらも私には必要な気がします。
バランスをとるのではなくて、
同時に存在したい感じ。